いま、種子島の自宅オフィスでこのブログを書いています。
テレビでは、秋葉原の喧騒が映っています。
昔の懐かしい記憶が蘇ってきたので、ブログを書いています。
初めて秋葉原に来たのは、1995年
Windows95の発売で盛り上がっていた時に
父と一緒にパソコンを買いに来たのを今でも鮮明に覚えてる。
画一なものを多様性が駆逐した?
ただ、そのときと決定的に変わっているのが街の雰囲気。昔はもっと、小汚い(失礼!)感じで駅前にある店も、
薄暗かったり、盗聴器らしきものがあったり、怪しい雰囲気だった。
それが、今ではメイドさん、コスプレしている人、
外国からの観光客などメチャクチャたくさんの人がいる!
昔はよく言えばギーク、悪く言えば小汚い(またまた失礼!)人しか
いなかったのに、昔に比べれば減っている。
言い方を変えると、「似たような人」が多かった昔の秋葉原に対して、
現在の秋葉原ではそれこそ多種多様な価値観、人、モノで溢れている。
何は無くとも多様性
なんでこんなことを書いたかというと、「多様性」こそが繁栄には必要不可欠だから。
Googleでは2013年まで世界中にある
70の大学からしか採用していなかったけど、
今では300校にまで拡大している。
それはなぜか?
Googleほどの企業でも、
「多様性」がなくなると
生きていけなくなると気づいたから。
同じような個性が集まると、同じような結論が集まる。
バラバラな個性が集まると、
思いもよらない発想が出てくる。
会社が大きくなればなるほど、
「多様性」がなくなって硬直化してしまい、
経営判断が遅くなって売り上げを失うのは、世の常。
マイクロソフトの失敗
実際、マイクロソフトはWindowsで覇権を握ったはずなのに、組織改編で中間管理職を増やしてしまったために、
意思決定が遅くなり、検索分野でGoogleの後塵を配する
結果となってしまった。
マイクロソフトの失敗をしってか知らずか、
Googleはそうならないように、
“新しい血”を常に入れ替える決断をしたというわけ。
1つになるな!数を増やせ!!
今回は「多様性」という言葉を、街の人たちで考えたけど、もちろん「人」だけには限らない。
例えば、あなたの中にある”考え”であったり、”信念”にも当てはまる。
ちょっと考えてみて。
クラスに30人いるとして、ある1つのことを考えるとする。
1つは30人全員があなたと同じ人間がずらり
そして、もう一方は30人の違う人間がいる。
多分、前者だと「私はこう思う」と言ったらもう異論は出てこない。
あっという間に結論が出るけど、それが本当に正しいのかは分からない。
ただ、自分が良いと思うところだけ見てるとも言える。
後者では、「私はこう思う」と言ったら、きっと他の人からは
「あなたの言うことも分かるけど、私はこう思う」と言われるだろう。
実際、私も人と話していると「そんな考え方もあるんだなー」と感心することがよくある。
さらに、違う意見に触発されて”新しい考え”が浮かんだりもする。
我々人類は、昔から社会を作って暮らしてきた。
それはきっと「多様性」が与える価値を
本能的に知っていたからではないでしょうか。
植物は太陽の光を浴びるため、ランダムに枝を伸ばしていきます。
人間も、そんな風に自分の進みたい方向に
枝を伸ばせるようになったらいいなと思います。
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